11月19日 22:51

生きると言う事と必要悪。[日記]
善意、善的行為はいつ如何なる状況であっても継続すべきモノです。
しかし、人は悪無しに生きられないのも事実です。
これを矛盾と言うなら、生きる事は毎日行き当たりばったりの答えを常に
生活と言う闘いの場において出し続ける必要があると言う事でもあります。
善悪の判断とは、時に犠牲を払うものが
その苦痛や苦悩に打ち勝ち、感受出来る大人である事を前提とした
最小限の悪に留めうる判断の事を意味します。
部分的な悪だけを見て
必要悪の容認が出来ない人間は
大人ではないとも言えます。
これらは、多くの社会経験をもとにした 極めて難しい判断だとも言えます。
加えて議論とは、お互いに見えていない善悪の配慮と視点を
多くの目によって公平な判断を下すための行動です。

(由希子)
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由希子
11月20日 06:48
自殺や殺人については、当然ながらに悪です。
生きるための動物の殺戮は必要悪と見なされる場合があります。
ただ、そうした中でかつての人喰い人種はどうなのかや
医療による過度な延命措置は
悪なのかなど、倫理的に難しい議論はあります。
人口が増えて70億人に達した今
改めて地球規模の善悪が、
今後議論されていく事になると思います。
先の矛盾ですが、戦争は間違いなのに、人類はどうしても行います。
これが矛盾における最大の矛盾です。


由希子
11月20日 22:42
人が死ぬ事で生き残った人に重みを与える時があります。
自殺は悪ですが、生き残った人間がそれを無駄にしなければ、自殺した悪を最小限にできます。
人はそうした巡り合わせで生きています。
そして、生きているモノの努めは、
そうした亡くなった人の重みを伝える事でもあります。
それには、自己の成長を望む姿勢が必要になります。



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