心の整理。[日記]
癒しとは、稚拙な幼児退行でもたらせると
勘違いしている人がいるみたいですが
明らかに間違いです
幼児退行によって癒されるのは、
そう感じているその人だけであって
それに付き合う周囲は
大人の目線で見守るので疲れるか
仕方ないので、いっしょにはしゃいでかわすかのいずれかになります。
遊びは、あくまでも遊びであって
怒るなんて、子供じみた行動を伴わない
自然体の心の動きを示します。
時に人は、ズバリ自らの弱点を指摘されると
腫れ物にさわる様に怒る時があります。
怒る事は、精神世界では
威嚇による退避行動、即ち逃げの行動に他なりません。
仮に本当に誰かの為に優しさをあげようとしているのなら、
怒る事は、無いと思います。
人は、思い通りにならないと怒る事があります。
しかし、それは単なるワガママであり
稚拙な精神構造故の事です
自分に素直になると言うのは、客観的に物事を捉えて
怒りなど感情をコントロールした上で
自らの言動を判断する事なんです。
逆切れする人は。[日記]
変な人
ひとつ確かな事は、自らをきちんと見つめていない人は
精神年齢が上がらないので、
そうした人に内面的な相談をすることは無いと言う事です
私は前向きに努力している人以外から
無知な説教を聞く気にはなれません。
加えて、人生で苦労から逃げてばかりの人に尊敬の念を抱く事は、ありません。
私は可能な限り、前向きに生きていきたいです
その2[日記]
ただ、必要悪はあくまでも
ワーストに導かない為の手段であり、
必然性はありません。
引きこもりは精神年齢の若年化に対する対策は、
自分との対峙や社会環境との対峙における
矛盾の解決の場数に比例して向上することから
社会生活の訓練が必要になります。
人は、肉体的変化に加えて、様々な欲求により、
人を動かすきっかけを持っています。
精神年齢の向上含めて、肉体的体力の低下以上に
亀の甲より年の功といった
内面的向上と合わせた人的価値の鍛錬を積む事で
社会環境への適合を果たしていくものと考えます。生きる事は、前のめりに少しづつ進む事だと
何かの選択的場面が訪れた時には
判断して貰えたらと思います。
因みに正義とは社会に対する義務であり、
善悪とは社会に存在不可欠な問題提起であると考えます。
もしも、正義の為に死ぬ事があれば、
倫理的な悪を冒しつつ
社会的正義を貫いた事になります。
戦争は倫理的な悪を冒しつつ正義を破壊する行為ですが、
人類は、正義や善悪の意識低下が起こると
繰り返し行う間違いによって
正義や善悪を意図的に意識させようとする
社会循環を行なっているようにも思います。
引きこもりと精神年齢と必要悪。[日記]
自殺や殺人は最悪ですが、次に悪い悪が破壊です。
引きこもりや精神年齢の若年化は、
社会問題としてあげられていますが
これは先の矛盾のコメントと同じく
社会における精神鍛錬の場が理論優先で減っているためと考えています。
引きこもりは、善悪を判断するための
大人への道を拒み、善悪を判断せずに済む子供でいられる方を選ぶといった
自己中心悪ですが、社会悪により、そうせざるを得ず
自らの死を遠ざける意味、必要悪の範疇に留めておくといった
考えのもと、容認されている様に思います。
身近な話で言えば、娯楽や遊びはそうした精神解放の場として
必要悪を含んでいるとも言えます。
生きると言う事と必要悪。[日記]
善意、善的行為はいつ如何なる状況であっても継続すべきモノです。
しかし、人は悪無しに生きられないのも事実です。
これを矛盾と言うなら、生きる事は毎日行き当たりばったりの答えを常に
生活と言う闘いの場において出し続ける必要があると言う事でもあります。
善悪の判断とは、時に犠牲を払うものが
その苦痛や苦悩に打ち勝ち、感受出来る大人である事を前提とした
最小限の悪に留めうる判断の事を意味します。
部分的な悪だけを見て
必要悪の容認が出来ない人間は
大人ではないとも言えます。
これらは、多くの社会経験をもとにした 極めて難しい判断だとも言えます。
加えて議論とは、お互いに見えていない善悪の配慮と視点を
多くの目によって公平な判断を下すための行動です。
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